今回の旅は、小樽・余市から積丹半島を巡る歴史と絶景のドライブ。
小樽がなぜ「北のウォール街」と呼ばれたのか。繁栄の面影を残す歴史的建築群を巡り、神威岬の絶景を堪能。そこから今回の目的地であるいわない温泉「高島旅館」へ。
📍2024年8月訪問
小樽の歴史|観光地化された今とは違う別の顔
小樽という地名は、アイヌ語でオタ・オル・ナイ(砂浜の中の川の意)と呼ばれたことに由来するそう。北海道にはアイヌ語に由来する難読地名がたくさんあるけれど、小樽の由来もやはりアイヌ語だった。
■ 小樽が「北のウォール街」になった3つの経済的要因
明治から昭和初期にかけて、小樽は商都として急速に発展する。
その根底には3つの経済的な背景があった。
- 1. にしん漁のブーム :にしんから作られる「にしん粕」は本州で綿花などの肥料として高値で取引され、年間最大9万トンを記録。漁の時期になると全国から出稼ぎ労働者が集まり、当時、春先2-3ヶ月の漁で1年暮らせるくらいの収入を得られたと言われている。
- 2. 石炭輸送と鉄道の開通 :小樽は北海道各地で採掘された石炭の最大の積出し港としても繫栄。幌内炭鉱からの石炭を搬出するため、1880年(明治13年)に北海道初(日本で3番目)の鉄道(小樽手宮ー札幌間)が開通。その2年後には幌内までの全線が開通したことが、小樽発展の原動力となる。
- 3. 樺太・満州との海外貿易 :日露戦争後の樺太割譲や満州国の誕生に伴い、地理的に近い小樽は物資供給や交易の拠点として海運業・貿易業が隆盛を極めた。
これら3つの要素が重なったことで莫大な資金が流れ込み、手宮線や日銀通り周辺には銀行や商社の重厚な石造り建築が立ち並ぶ「北のウォール街」が誕生した。



■ 衰退の危機から「観光都市」としての再生へ
戦後、小樽は大きな転換期を迎える。 第二次世界大戦後に領土を失ったことによる貿易の衰退、にしんの本格的な不漁、石油へのエネルギー転換に伴う炭鉱の閉山と、戦後から1970年代にかけて次から次へと小樽経済に悪影響が及び、街は急速に衰退した。
現在は、小樽が最も華やかだった頃の遺産をうまく観光資源として活用し、観光産業を基盤とする国際観光都市・小樽として海外からの観光客も多く呼び込んでいる。
小樽貴賓館|にしん御殿 旧青山別邸
青山家は明治・大正時代に、にしん漁で巨万の富を築き上げた。その三代目、政恵が十七歳の時、山形県酒田市にある本間邸に魅せられ大正六年から六年半余りの歳月をかけ建てた別荘が旧青山別邸。
旧青山別邸は約1500坪の敷地に金に糸目をつけず建てられた豪邸。
平成22年、国の登録有形文化財にも指定されている。
館内は写真撮影禁止だったので写真に残すことが出来なかったが、美術豪邸と言われるだけあって、素人でも楽しめる見ごたえのあるお屋敷だった。
帰り際に見つけた瓦屋根の恵比寿様。持っている魚も思わず”にしん”かもと思って笑ってしまった。


【基本情報】小樽貴賓館(旧青山別邸)
- 住所:〒047-0047 北海道小樽市祝津3丁目63
- 電話番号:0134-24-0024
アクセス
車の場合:JR小樽駅・小樽運河より約10分
バスの場合:JR小樽駅から中央バス「小樽水族館」行きに乗車(約20分)、
「貴賓館入口」下車 徒歩5分
旧下ヨイチ運上家|日本で唯一現存する運上家
北海道は江戸時代、アイヌ民族が暮らす蝦夷地と和人が暮らす和人地に分けられていた。
運上家は、松前藩が行っていたアイヌ民族との交易を請け負った商人が経営の拠点とした場所。旧下ヨイチ運上家は現存する唯一の運上家であり、ボランティアの方の丁寧な説明で当時のようすがよく分かる。老朽化が目立つけれど後世に残していってほしい。


【基本情報】旧下ヨイチ運上家
- 住所:北海道余市郡余市町入舟町10
- 電話番号:0135-23-5915
- 開館時間:9:00〜16:30(最終入場)
- アクセス:中央バス「余市役場前」下車 徒歩10分
- 駐車場:あり(5台)
「女人禁制の地」神威岬へ
大海原へせり出した神威岬の先端までは、女人禁制の門から約770m。この日は天候が不安定で、神威岬の入り口ゲートが閉まっていた。本来なら大海原を眺めながら遊歩道の先端まで往復40分程の散策ができたはずなのだけど…。
積丹ブルーを楽しみにしていたのに残念。
神威岬は地形的に強風が吹き抜けやすく、門から先端の神威岬灯台へと続く尾根道の遊歩道(チャレンカの道)は「馬の背」と呼ばれる非常に細く険しいルート。入り口ゲート前でも何かに捕まっていないと突風で吹き飛ばされそうだったので、ゲートから見た岬に行くなんて想像しただけで恐ろしい。


絶景スポットの神威岬がなぜ『女人禁制の地』と言われるようになったのか。それには、この海域特有の過酷な自然環境と、それにまつわる古い信仰や伝説が深く関係していた。
その昔、神威岬の沖合は「魔の海」として多くの人々に恐れられており、
「婦女子」を同伴していけば神霊の怒りにふれ、その船は必ず転覆する」という迷信があった。江戸時代、幕府が蝦夷地を直轄し開拓を計画するようになり、赴任を命じられた「梨本弥五郎が妻子を伴って神威岬を通過する際、海が荒れたため船子は恐れおののいたが、梨本は毅然と立ち上がり、「私は征夷大将軍家定の家来である。今主君の命を受け岬端を通るになぜ神罰を受けなければならないのか」と岩角めがけて銃を撃ち放った。銃声が岬に響き渡ると神霊の怒りはおろか、海は穏やかになり皆無事に赴任地に就くことが出来たという。
この梨本の岬越えがきっかけで女人禁制は事実上解かれたが、しばらく女性たちは自分のために海が大荒れになることを恐れ、隠れながら通ったと言われている。
神威岬へは日帰りツアーでも行くことができるので興味のある方はこちらから☟
現地オプショナルツアー予約&観光旅行【VELTRA-ベルトラ】予約が取れない宿「いわない温泉 高島旅館」へ
本日の宿である岩内温泉の「高島旅館」にチェックイン。
この宿は「とにかく予約が取れない宿」と言われているが、その最大の理由は間違いなく圧倒的な料理の凄さ。
迫力の「活ヒラメの活造り」と豪華海鮮尽くし
テーブルいっぱいに新鮮な海鮮が並び、すごいボリューム。
一番驚いたのが、名物のヒラメの活造り。
いつまで経ってもピクピク動いていて。落ち着いたかなと思ってもまだピクっとするから怖かった…。
美味しいお料理と一緒に岩内の地ビールもいただいて大満足。








受付前の居心地の良いロビーには、日替わりでクラフトビールが4種類用意されていて、宿泊者は1杯350円で楽しむことが出来る。

- 施設名:いわない温泉 髙島旅館
- 住所:〒045-0024 北海道岩内郡岩内町野束505
- 電話番号:0135-61-2222
まとめ
北海道といえば、美味しい食事や豊かな自然を求めて旅する人も多いが、それだけではもったいない。北海道ならではの歴史や文化に触れることで、旅はさらに特別なものになる。
かつて蝦夷地と呼ばれた北海道の先住民族であるアイヌの人たちについても、日本人として知っておきたいことの一つ。現地を実際に訪れ、自分の目で見て、話を聞き、さまざまな体験を通して学べることは、とても貴重な機会だと思う。
今回訪れた旧下余市運上屋をはじめ、白老町にある国立アイヌ民族博物館「ウポポイ」でも、アイヌの人たちの歴史や文化について学ぶ機会があった。
旅すること自体がもちろん楽しいけれど、訪れる先々で新しい発見があり、学ぶことも多い。そんなところも、旅の大きな魅力だと思う。
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